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2018年03月28日 水曜日 歴史コラム      ( 塾 NEWSLETTER )

歴史コラム

山陽本線の終着駅は神戸です。ひとつ東が元町駅。ご存知のように、駅前の元町通は神戸を代表する繁華な商店街です。さて1901(明治34)年、この地である男がひっそりと息をひきとります。享年54歳。全身に多くの古傷があったといいます。この男の故郷は現在の岡山県高梁市。生まれは嘉永元年(1948)、名は谷昌武。父三治郎は備中松山藩板倉周防守の家臣で、旗奉行120石取りといいますから上士の家格でした。さて、昌武は他界するまでの10年あまり、山陽鉄道神戸事務所で下級職員として生計を立てていました。山陽鉄道は現在の山陽本線の前身です。時をさかのぼり明治20年、彼は婿入りしていた妻から離縁され家を追い出されています。その当時の名は、播田昌武。妻はツル、裁縫の師匠でした。離縁に際し、ツルは昌武の連れ子・昌栄を引き取り、その後も面倒を見つづけています。10年間の夫婦生活でした。さかのぼり明治5年、播田昌武は大阪で警察官の職に就いています。当時の名は谷千三郎。が、長続きせず姿をくらましています。さかのぼり慶応4(1868)年、20歳の彼は江戸の松井つねという女性を訪れています。女連れでした。後年松井つねは、「周平さんも女のためにあんなことになってしまった」と近辺にもらしたそうです。さて、ご存知のように慶応4年(明治元年)といえば戊辰の戦が始まった年です。実は、彼は鳥羽伏見で薩長の軍に敗れ江戸に流れ落ちたのです。つねに会ったのち、彼は忽然と消息を絶っています。追手から逃れるためです。決して脱退を許さない恐ろしい組織でした。事実、脱走者は執拗に追跡され、そのほとんどが斬殺されています。彼は希少な例外になることができたのです。そのころの彼の名は近藤周平。松井つねは彼の義母でした。つねの夫の名は近藤勇。彼は新選組局長の息子(養子)だったのです。数奇な生涯といえるでしょう。

 

 

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