TOP講師の日記忙中雑感

2010年06月23日 水曜日 忙中雑感     ( 講師の日記 )

この2週間ほど、忙しさに慣れていない私にとっては、
多忙と感じる毎日が続きました。
HPや日記の更新も疎かになってしまい、
なんとなくもどかしい思いがありました。

さて、中・高生は、期末テストのシーズンです。
テスト対策の授業をするとき、ついついこちらの側が発してしまうのが
「忙しげオーラ」だったり、「時間なさげオーラ」です。
こういったオーラは、子どもたちにも伝染します。
しかも勉強に苦手感のある子どもたちのほうが伝染しやすい。
テスト前ほど、こちらはドーンと構えていたほうがよいのですが
手順をはしょったり、説明がおおまかすぎてしまったりするため
?の行列が結果的に増えてしまうことになりがちです。
やはりあれこれ手をつけずに、効果的な教材に的を絞って
それの習熟に力をつくすのが、ベターな選択であることが多いように思います。
少しでも「できる感」を高めてテストに臨めるような授業をこころがけねば
とあらためて思う今日このごろです。

発達障害の子どもたちと接していると、
なつかしさのようなものを感じるときがあります。
彼らはどこか私たちの子どものころを思い出させる所があるのです。
つまり彼らは私たちにとっての「(昔の)子どもらしい子ども」のオーラを
発しているように感じられるのです。
私たちの一方的な思い入れであることは承知しているのですが
ふとそういう感覚にとらわれてしまう。
その感覚の由来について考えてみるとき
ひとつ重要なファクターとして
彼らのふるまいやことばに表れる共通の時間感覚が
関係しているのではないかと思うのです。

今の世の中に適応している子どもたちは、
どこか私たちの子どものころより「忙しげ」です。
文字通り毎日のスケジュールがいっぱいであるという意味で「忙しげ」であるだけでなく
子どもがいつのときも時代に最もはやく適応できるという意味で
私たちが生きている今の時代の時間感覚が何となく加速度的にスピードアップしている
その「時代の生きた鏡」としての面からも「忙しげ」なのだと思います。
世知辛い世の中を作ってきたのは、私たち大人であるはずなのですが
多くの大人たちも、その忙しさにどこかでなじめていない。
むしろ子どもたちのほうがそこらへんは先鋭的で、
大人たちは、子どもたちのそういう面には「子どもらしさ」を感じにくくなっている、
そんな気がするのです。
ひるがえって発達障害の子どもたちの時間感覚は
本人たちの涙ぐましい努力にもかかわらず、
いつも同世代に対する乗り遅れ感があって
彼らの不器用さもあいまって、
はたから見ていると何だかとてもゆったりした時間を生きているかのように見えてしまう。
それに実はその姿は、スピード感についていけない大人自身の似姿でもあろうし、
そのゆったりした時間というのは
郷愁という名の幻想に過ぎないのかもしれませんが
私たちが子どものころに生きていた時間の流れを思い出させるものであるような
気がするのです。

むろん、こんな分析の当否にかかわらず、彼らはとても愛らしいし
その存在によって私たち大人が癒されているところは確実にあります。
「文明の解毒剤」などというと、おおげさですが
彼らの魅力を積極的に評価する気持ちから何か述べてみたいと思い、
あえて「こんな考え方はどうだろうか?」
ということで書かせていただきました。

森 茂雄

担 当

小学生 中学生 高校 浪人生 

教 科

全科目(高校の一部理系科目を除く)

自己紹介

子どもたちと接していて変わらず思い続けていることは、「みんな、ほどほど(適正)に自己を愛し、自尊感情をもって成長していってほしい」ということ。なかなかに「自分を信じて生きていく」ことは難しいことなのだから。

 

 

正信塾

電 話

052-782-1217

受付時間

10:00〜21:00

定休日・備考

月曜日

住 所

〒464-0034

愛知県名古屋市千種区清住町3-82 森ビル2F

交 通

名古屋市交通局東山線東山公園駅 徒歩3分

ページトップへ