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第4回 子育て通信
子どもは変身を繰り返す生き物です。(小学1年生から3年生まで�◆�
「小学低学年の時期はみんな個性的です。この個性を消さないでください。」
○小学低学年の時期は成長に大きなむらがあります。
小学低学年の子どもたちを注意して観察していると、一人ひとりその能力に著しい差があることに気がつきます。
どんどん走り回ったり、鉄棒にぶら下がったり、活発で運動能力が発達している子がいます。いろいろとおしゃべりをして、先生やお友達に話しかけ、上手にお話ができる子もいます。お絵かきが上手な子もいます。もうピアノを大人のように弾ける子もいます。
この成長の差は遺伝的な原因よりも、一年生になるまでの生育環境の違いによると思われます。なぜなら、この差はだんだん小さくなって、四年生くらいになるとあまり気にならなくなるからです。
この成長の差を生む原因になっている子どもの生育環境は、お母さんが決定していることが多いのです。たとえば、お母さんがいつも話しかけたり、絵本を読んであげたり、子どもの話を聞いてあげたりしていると、言語能力が発達してきます。
いつもお母さんと外で一緒に遊んだり、近所の子ども達と遊び回ったり、スイミングスクールに通ったりしていると、運動能力が発達してきます。ピアノを習えば、ピアノが上手になります。大人と違って、子ども達はまだいろいろな経験をしたことがありません。経験しないことには、何事も上手にはならないのです。
反対に、繰り返しやっていると、どんどん上手になるのです。いつもやっていることは、誰でも必ず上手になります。その成長ぶりを見ていると、子ども達が無限の可能性を持っていることを信じることができます。
子ども達の成長の差が、生育環境の差から生まれているとすると、お母さん方が子ども達の能力の差を作ったと言うことができます。そして、今からもしばらくは、お母さんの影響力は大変大きいのです。この影響力を正しく効果的に使わなければなりません。
○子ども達の成長の差が個性です。
運動能力は発達しているが、言語能力が発達していないといって心配するお母さんがいらっしゃいますが、そんなに心配することはありません。ただ成長が遅れているだけで、言語能力が劣っているわけではありません。
遅れているところに着目して、遅れているところを取り戻そうと努力をすると、たしかに人に追いついてきます。しかし、人より成長がはやいところも、同時にもっと伸ばすことを考えていないと、平均的な能力を持つことになるだけで、個人差が消え、長所が消えることになります。実はこの個人差が個性なのです。人より優れているものが有ることが良い意味での個性であって、この人より優れているものを維持し、もっともっと伸ばしていこうと考えるほうが、短所を補っていくことを考えるよりも大切なのです。
小学四年生くらいになると、成長の差は気にならなくなると書きました。これは、学校という同一の生育環境の中で、子ども達が暮らし始めたからということもできますが、今までの学校教育が短所に着目して短所を補う教育を心がけてきているということも大きな要因です。
しかし、これからの教育に求められているのは、同じような能力を持った子ども達を作りだすことではなく、個性的で自ら学ぶ意欲を持った子ども達を育て上げることです。そのためには短所に着目するのではなく、子ども達の長所に着目し、長所を伸ばす教育をする必要があります。
短所に着目する教育は、もともと嫌いなことを学ばせるのですから、子ども達は勉強嫌いになってしまいます。しかし、長所を伸ばす教育は、子どもの好きなことを学ばせるのですから、ますます学ぶことが好きになっていきます。
もちろん、短所について何もやらなくて良いと言うわけではなく、最低限のことはやっておく必要があります。
そんなことで本当に大丈夫だろうかと心配されるお母さんもおられると思います。しかし、大丈夫です。好きなことをどんどんやらせると、子ども達は生き生きしてきます。活発で、明るく、前向きになって苦手なことでもある程度は進んでやるようになるのです。逆に、嫌いなことを無理にやらせると、元気が無くなり、暗くなって何もやる気がしなくなってしまいます。
子どもの教育は、子どもが元気で明るく活発になるよう、常に心がけることが大切なのです。
○小学一年生を評価することはできません。
このように成長の差が大きくて、一人ひとりの能力の個人差が大きいと、子ども達を一定の尺度で評価することは難しくなります。たとえば、知能テストというものがあります。この時期の評価には適しているように思われますが、知能テストも子どものごく一部の能力を評価しているにすぎません。学校の通知表にしてもトータルな評価はできません。また、この時期の子ども達の能力は成長のまっただ中にあって、すぐに変わってしまいます。ですから、この時期は、言語能力は優れているが、運動能力は成長が遅れているといった大まかな評価にとどめるべきだと思います。
無理をして評価するよりも、今ある能力のばらつきは気にせずに、あるがままの姿で、子どもがやりたいことをどんどんやらせて、活発で、明るく、意欲的な子どもに育てることが大切です。
○これからは個性を伸ばす教育が大切です。
子ども達を評価すべきではないと言う理由で、運動会で一等賞の賞品をあげなかったり、通知表を出さなかったりする学校が増えています。これは、子ども達は平等で、一番・二番と順番を付けるのは差別をすることになるので良くないとか、子ども達が順位を気にするので、教育的に良くないと言う理由だそうです。
しかし、どう考えても子ども達が何かをすれば順位はつきます。運動会の百メートル競争で、「みんなで一列に並んでゴールしなさい。」というわけにはいきません。テストをしておいて、点数を付けないわけにもいきません。順位をつけないという考え方の中には、子ども達がみんな同じであった方がいい、差がないほうがいいという考え方が潜んでいます。
これは、短所に着目し短所を消そうという教育方法です。また人に勝つことが悪いことででもあるような考えが潜んでいます。この考え方をとると、子ども達の個性は失われていきます。
人に勝つことはけっして悪いことではありません。人より優れたところがあることは素晴らしいことです。悪いのは一部の能力を取り出して、あたかも子どもの全人格を評価するように、評価することです。今の日本の教育は、テストの成績だけで子どもを評価しようとするところがあります。子どもには運動能力や言語能力・絵を書く能力・楽器を弾く能力などいろいろな能力があって、テストで良い点をとる能力も子どもの個性の一部にしかすぎません。
人より優れた能力は、人の役にたつための能力で、人に勝つための能力ではありません。
社会に貢献するためには、人よりも優れた能力が必要なのです。
一人ひとりがいろいろな長所を持ち、その長所が一人ひとり異なっていることが個性です。一人ひとり異なっていることが素晴らしいのです。そしてお互いの長所を生かして助け合うのが社会なのです。これからの社会では、誰もが持っている能力を高めることはあまり価値を持ちません。それよりも、人にはできないことができるとか、これだけは誰にも負けないというものを持つことが大切なのです。それが子どもたちの自信やプライドにも結び付きます。
一部の能力が他の子ども達より劣っていると言って心配する必要はありません。学校と言う集団生活の中で他の子ども達に刺激を受けることで、子ども達の興味関心はどんどん移って行き、そのうち劣っている能力もしだいに追い付いてきます。
「子どもは小さなかえる蛙ではありません。おたまじゃくしなのです。」
○いつも動き回りじっとしていないのが、子どもの自然な状態です。
小学低学年時期の子ども達の心臓の大きさは体に比べて小さく、血液を体全体に行きわたらせるために心拍数は大人よりもかなり速くなっています。このことが子ども達の行動を迅速なものにしています。また、血圧が低く、行動を起こすためには時間がかかります。静かにしていて急に素早い行動はできません。
小さな子ども達がすばしっこくちょろちょろ動き回るのは心拍数のリズムに導かれ、行動が速くなっているのです。また一時もじっとしていないのは、一旦止まると再び行動を起こすのに時間がかかるからなのです。えらのない鮫が呼吸をするために、いつも泳ぎ回っていなければならないように、子ども達も体の必然性から一時も休むことなく動き回っているのです。
ですから、子どもはいつもうるさくおしゃべりをし、走り回り飛び回っている姿が自然なのです。それなのに、静かに座って本を読んでいる状態を、好ましいと思うお母さんが多いようです。そう考えるのは、おたまじゃくしを小さな蛙だと思い違いをしているからなのです。
小学3年生までは、形は同じでも、大人とは全く別の生き物なのです。小学高学年になると、大人の体に近づいてきて、大人と同じような行動をとれるようになるのですが、高学年の子どもにとって好ましい状態を、低学年の子ども達に求めるのは、大きな勘違いです。小さな子どもを静かにさせようという努力はおおむね徒労に帰しますが、無理に静かにさせれば、子どもの能力の育成に重大な支障をきたします。
○「心のエンジン」の大きさは小学3年生までに決まってしまいます。
子どもの動きを止めることは、大脳と体の成長を妨げるだけではありません。実はもっと深刻な事態を引き起こします。表面の成績の格差に比べ、子ども達の能力格差ははるかに小さく、どんなに頭が悪いと言われる子どもでも、適切な指導とトレーニングにより成績は上がります。しかし、例外的に成績をどうしても上げきれない子どももいます。その子たちに共通していることは、動きが緩慢で、もの静かだということです。
体は大きいけれど動きが鈍く活気のない人もいます。体は小さくても体の動きや頭の回転が速くエネルギッシュな人もいます。大きな排気量のエンジンを搭載した小さな車体のスポーツカーや、排気量は小さいが車体の大きな乗用車があるように、人にもそれぞれエンジンがついていて、その大きさにはかなりの個人差があるようです。これは肉体的な意味での体力ではありません。むしろ「心のエンジン」と言ってもよいようなもので、好奇心だとかやる気というような意味に近いものです。「心のエンジン」の大きさは小学3年生くらいまでに、ほぼ決まってしまうようです。
○子どもの動きを止めると「心のエンジン」は小さくなります。
実は小さな子ども達は動き回り刺激を受け続けることによって、大脳や体の発達を促すとともに、「心のエンジン」を作りあげているのです。
「心のエンジン」の大きさは、子ども達の単位時間あたりのエネルギー発散量を決めています。好奇心ややる気は行動につながり、日々のエネルギー発散量を増大させます。子どもの動きを止めてしまうと、このエネルギー発散量を低下させてしまいます。そのような状態が続けば、体も心も、エネルギーを発散する能力が低下してしまうのです。この単位時間当たりのエネルギー発散量は、子どもの能力すべての基礎になっていて、エネルギー発散量が低ければ、どんな能力も育成することが難しくなってしまうのです。
子どもの動きを止めるということは、この「心のエンジン」の成長を妨げ、何事にも無関心で無気力な子どもを生み出してしまいます。「心のエンジン」の小さい子どもにどんなに勉強を教えても学習意欲に乏しく、学習スピードも遅く、なかなか成績が上がらないのです。どうかお子さんをのびのび遊ばせて、「心のエンジン」の大きな子どもに育ててください。
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