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第9回子育て通信
頭の良い子を育てる方法��(理解力を育てる)
頭が良いというときに真っ先にイメージされるのが理解力ではないでしょうか。では、理解力とは何かをまず考えてみましょう。
私達は、新しいことを学んだ時に「わかった。」とか「わからない。」と感じます。なぜ、「わかった。」とか「わからない。」と感じるのでしょうか。「わかった。」とか「わからない。」と感じた時、私達の頭の中で何が起こっているのでしょうか。
私達は、たくさんの知識を頭の中に蓄えています。その知識は乱雑に頭の中に蓄えられているのではなく、知識のネットワークとしてそれぞれの知識を関連付けて蓄えています。私達の頭の中には、知識の構造があるのです。理科の知識の構造とか数学・社会の知識の構造とか、他にもたくさんの知識の構造があります。その構造同士もお互いに関連付けられているのです。それらの知識の構造の基盤をなしているのが、私達の思考言語である国語の知識構造です。
新しい知識が入ってきた時に、すでにできあがっている私達の知識の構造に新しい知識が関連付けられて、すでにある知識の構造にうまくつながり、知識の構造の中に取り込まれた時、私達は「わかった。」と感じるのです。
逆に新しい知識を関連付けるための知識が欠けていると、新しい知識はすでにある知識の構造と関連付けることができずに「わからない。」と感じるのです。
例えば、「わり算」がわからないと「小数」や「分数」はまるで理解できません。また、「小数」や「分数」がわからないと「割合」がまるでわかりません。
「小数」や「分数」の計算ができたとしても「小数」や「分数」の意味がよくわかっていないと「割合」は難しく感じます。計算できて安心していても、機械的に計算ルールだけを覚えて、意味がしっかり理解できていない場合が多いのです。
まず基礎知識を順番にきちんと習得していけば理解できるようになるのです。
理解力とは、頭の良し悪しではなく、新しい知識を理解するための知識をもっているかどうかにかかっているのです。小さい頃からたくさん勉強してたくさんの知識を蓄えてきた人は理解力が強く、知識の少ない人は理解力が弱くなるのです。
ですから、がんばって勉強することは、新しい内容を理解するだけでなく頭を良くすることでもあるのです。
小学3年生の終わりになると「たし算」「ひき算」「かけ算」「わり算」の文章題が混ざって出てくる問題を解くようになります。それまで、文章題でもほとんど答えがあっていた子ども達が、ここにきて一気に間違いが多くなります。文章を読んで「たし算」「ひき算」「かけ算」「わり算」のどの計算式を使っていいのかまるでわからない子ども達がたくさんいるのです。それは、「たし算」を習うときには、「たし算」の文章題しか出ないのでならった計算式にあてはめればよかったのです。このような子ども達が非常に多くなってきています。
計算できることと、計算の意味がわかっていることとはまるで意味が違うのです。テストで正解しているからといって安心していると後で大変なことになります。
低学年のうちに、この基本的な物の考え方を習得させることはとても大切なことです。そのためには、日常生活の中で「数」に対する考え方などを学習させることが必要です。
「小さい頃に自動販売機に実際にお金をいれさせてお金の概念を学習させた。」とお話しくださったお母様がいらっしゃいました。
このように身近なところでたくさんの学習が可能なのです。ご両親が与えていく問いかけが実はお子様にとっての宝、将来の財産なのです。
理解するのに必要な基礎学力の量は教科によって異なります。算数が最もたくさんの基礎学力を必要とし、英語・理科・社会の順番で基礎学力を必要とする量は減っていきます。ですから、理科や社会は頑張ればいつでも成績が上げられるのです。もう少し正確にいうと算数が、理解するのに必要な基礎学力の量が多いというのではなく、基礎学力がないと次の単元がまるで理解できないのです。
これに対し、他の教科は、暗記が重要な教科ですから、どこからでもそれなりに理解はできるということです。そうはいっても、他の教科でも基礎学力がある方が深く理解できます。
これらのすべての教科の基礎学力になっているのが国語です。特に社会などは、国語の教科書よりも難しい漢字がたくさん出てきますので、国語力が弱いと覚えるのが大変です。記憶力も必要になってきます。ですから国語力と記憶力を育てておかないとなかなか社会の成績は上がらないことになります。
国語の学力を必要とする割合も教科によって異なります。社会・英語・理科・数学の順に国語力の影響は減っていきます。ですから、理解に必要な基礎学力とは、その教科自体の基礎学力と国語力があるのです。
国語がすべての教科の基礎だというのはこのためです。
私達は、日ごろ日本語で考え、教科書など日本語で書かれたものを読んで勉強しています。ですから、本物の国語力をつけることはすべての教科学習の基礎となるといっても過言ではありません。
国語のテストでは、その答えは国語の長文の中にありますから、国語の読解問題は答えを見つける力を問うものといっていいでしょう。しかし、それは国語力のほんの一部にすぎません。本当の国語力を試すなら、読書感想文や作文の方が適しています。
しかし、そうなると採点が大変で、採点者の主観が入るために、客観的で正確な評価ができなくなります。そのために、テストに読書感想文や作文が使われないのです。
本当の国語力とは、人が書いた文章や人の話を正確に理解し、そこから多くの知識や知恵を得る力です。
また、自分の考えを的確に文章に表現したり、話したりする力です。
この二つの力は、広い意味でのコミュニケーション能力といってもいいでしょう。
この力をつけるには、学校の授業や教科書での勉強では足りません。日ごろの生活のすべてが国語力をつける場なのです。
人と話し、お互いに理解し合う力をつけること、共感し合う心を育てることが大事です。
また、新聞やテレビ・インターネットから情報を得たり、手紙やメールを書いて自分の気持ちや考えを人に伝えたりする日常の行動が、国語の実力をつける勉強なのです。
教科書や授業での言葉や漢字を覚えるだけでなく、日常目に触れるすべての言葉や漢字に、日ごろから興味関心を持ち、絶え間なく語彙力を増やす努力が、本物の国語力を育てるのです。
国語力の育成をなお一層加速させようと思えば本を読むことです。本を読めば、必ずといっていいくらい知らない言葉に出会います。その言葉を調べながら本を読めば、急速に国語の力がつきます。
本には自分のしらない知識、知らない世界が書かれています。読書をすれば、単に語彙力が豊富になるだけでなく、心が広く豊かになります。この広く豊かな心が、考える力を育て、人を理解する力を育てます。本物の国語力とは、広く豊かな知識に基づいた、思考力・感受性・共感力でもあるのです。
読書以上に効果的な方法は文章を書くことです。文章を読むより、文章を書くほうが難しいからです。日記をつけたり、読書感想文を書いたり、友達に手紙を書いたりすることが、国語力を育てます。そこまでいかなくても、文章を書く習慣さえつければ、国語力は確実に身につきます。
スポーツをやっている人は、毎日運動し、必要な筋肉がついてきてある程度までは誰でも確実に運動能力は高まります。それは、筋肉がつき体つきが変わるということで、目に見える変化をともないますから、誰でも運動が運動能力を高めているということを理解できます。逆に病気で長期入院し、体を動かさないでいると、筋肉は急激に衰えます。ですから、その人の持って生まれた能力よりも運動量の方が、運動能力に大きな影響を与えることを誰でも知っています。
しかし、私達の頭の中は目には見えません。ですから、理解力の差を知識の量の違いと考えずに、生まれつきの頭の良し悪しだと考えてしまいがちです。しかし、頭も体も私達の一部であり。何も変わることはありません。頭も体も鍛えれば高い能力を獲得できるのです。逆に鍛えなければ、頭も体も衰えていくのです。
私達の頭の中は普段は見えませんが、もし、手術をして見たとしたら、たくさん勉強してきたかどうかがわかります。
大脳は、簡単にいうと知識を蓄える大脳細胞(ニューロン)と大脳細胞同士をつないでいる軸索という情報を伝える電線のようなものでできています。勉強した人の大脳は、記憶をつかさどる海馬という部分に情報を送る顆粒細胞という丸い形をした細胞が増えています。
また、情報を伝える軸索が網の目のように張り巡らされていて、軸索の数が増えています。軸索の先端のシナプスという情報伝達の器官の数も性能もアップしています。逆に勉強してこなかった人は、顆粒細胞が減り、軸索やシナプスの発達も少ないのです。
もっとも、ここでいう勉強とは学校の勉強だけでなく、いろいろな体験も含みますから、学校のテストの点数と比例するわけではありません。ですから、学校のテストの点数はたいしたことはないが、非常に頭が良いという人もいるのです。
勉強すれば頭は良くすることができます。勉強を始めるのは早ければ早いほど苦労は少ないのですが、いつから始めても頭を良くすることはできます。
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