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TOP“悪いノート” の見極め方

 

 

“悪いノート” の見極め方

当たり前ですが、ノートは学習のための道具で、文房具という品目です。
確かに鉛筆・消しゴム・定規などと同様に物としてとらえれば文房具です。
しかし、この文房具が学力の伸長にとんでもない影響力を持っています。

このノートを単なる文房具ではなく、学習グッズでもなく、「学習ツール」として格上げして考える必要があります。

見方によっては、教科書や問題集よりも神経質になって、ノートの “作り方” と“活用の仕方” つまり、「ノートによる学習技術」 を習得することが必要とされます。

そして、扱い方によって、たかだか1冊100円程度のノートの価値を、教科書や参考書並み、いやそれ以上に上げることができると断言できます。

ですから、“悪いノート” は価値がないだけでなく、学力に深刻な悪影響を及ぼしかねません。


対 象

  

実施日

●●● なぜ “悪いノート” は悪いのか

◆◆◆ ノートは分身だから ◆◆◆

――― ノートを見れば、学力傾向+α がわります

初めて会った子どもでも、その子のノートを見ただけで、“学力が伸びるタイプ” か “伸び悩むタイプ” かということがズバリわかります。

現時点のおおよその学力、学習の仕方、学習に対する取り組み姿勢(考え方)、意欲、性格、精神年齢 などが見えてきます。

それらがノートの書き方に正直に表れるからです。
ノートには、飾らない自分の素直な姿が反映されます。
ですから、ノートはさまざまなバロメーターとなります。


――― ノートを改めることは、その子の欠点を改めるのと同じ

悪いノート作りはすぐに改める必要がありますが、形だけ改めても内面的な部分が変わらなければ全く意味はありません。
ですから、指摘をしてあげることによって、自分の「マイナス思考」や「無駄なこと」などに素直な気持ちで気付かせてあげることが大事です。

意識が変わり、自らを変えていこうとしたとき、ノート作りも自分で工夫するようになってきます。
これが一番大事なことです。

◆◆◆ ノート作りは極めて重要な学習技術だから ◆◆◆

――― 小学校高学年、中学生はとても大事な学習技術です

今回は、このような視点から、小学校高学年以上に見られる、伸び悩んでしまう“悪いノート” についてご紹介したいと思います。

一般的に、小学校4年生くらいまでは、ノートは自分で考えて書くというより、言われた通りに書くことがほとんどです。
しかし、5年生くらいになると、ノートを自分で工夫して書いたり作ったりする場面が多く出てきますので、自分の大事な正しい学習技術としてマスターする必要があります。

◆◆◆ ノート ワースト5 ◆◆◆

――― “悪いノート” はおおまかに、5種類に分類されます

代表的なものとして、次の5つに分類いたしました。
以降に、それぞれどのようなノートなのか、なぜ学力が伸び悩むのか、そしてどのような心理が働いた結果のノートなのか、などを探っていきます。

1. キレイなノート
2. ひたすら“見ては写し”の繰り返しノート
3. 空白だらけノート
4. 人に見せるためのノート
5. メモ用紙ノート

●●● “悪いノート” を作る心理と危険

★★★★★  キレイな ノート  ★★★★★

――― 女の子に多いカラフルノート

とてもカラフルで文字の配置よろしく、キレイに“仕上げる”ノートです。
いったい1ページ書くのにどれだけの時間と手間をかけたのだろう、と思うような、何色ものカラーのペンで色分けされた見た目美しいノートです。

特に、女の子に非常に多く見られます。
最近は、男の子にも見られます。大きなペンケースがペンだらけだったらまず間違いありません。


――― 「授業ノート」の場合・・・授業がどんどん理解できなくなる

これが、学校や塾の授業のノートであれば、まず先生の話は一切頭に入っていません。
とにかく黒板の板書をいかにきれいに写すか、といったことに全神経が注がれてしまっているからです。


――― 聞きながら書く、なんて芸当は無理です。だから結果として・・・

そもそも、授業を真剣に聞き、理解しようとするときは、手が止まってしまうものです。

先生の話を聞きながら理解するのと同時に、黒板を見て板書を写すことは所詮無理です。
つまり、速記ができるならまだしも、聞いている言葉と、書いている言葉は同時進行せず、時間的なずれがありますから、その両方を同時に理解することは到底できません。

ですから、どちらかを捨てざるを得ず、結果として楽な板書写しに専念してしまい、先生の話は「音」として聞こえてくるだけになってしまいます。

※ ノートの用途による分類については第2弾でご紹介いたします。(授業ノート、知識ノートなど)


――― 「知識ノート」の場合 ・・・美術作品になってしまう

重要な知識をまとめておくいわゆる「知識ノート」が、カラフルでキレイなノートである場合も、要注意です。
多色刷りの参考書のように上手に色分けして、わかりやすい自分専用の知識整理ノートを作る、という意識で作るのであればまだしも、必要以上に時間をかけて飾り立てるようなノートでは、全く意味がないでしょう。


――― 「学習する」 というより 「作品を作る」 楽しさを求めている

恐らく、そのようなノートを書いている時は気持ちよく書いています。
そして、その気持ちが強ければ強いほど、そこにはもはや「学習」という意識は薄れています。

学習内容を理解しようとしたり覚えようとしたりするエネルギーを、キレイに自分の気に入ったレイアウトにノートを仕上げることに、全て費やしてしまっているのです。

言い換えると、「学習をする」 という辛いことを、「よりきれいなノートを作る」ことによって楽しさに転換し、そこに満足感を得ることが目的となってしまっているのです。


――― 一番憂慮すべきこと

さらに危険なことは、それが 「学習である」 と勘違いし、何の疑いも持たなくなってしまうことです。
手間をかけ時間をかければかけるほど充実感は増し、勉強をしたつもりになってしまいます。

また、机に向かっている姿と一所懸命書いている姿をはたから見ると、いかにも真剣に勉強しているかのように見えてしまうのも、くせものです。


★★★★★  ひたすら “見ては写し” の繰り返し ノート  ★★★★★

――― 機械的な作業と化してしまいます

授業参観で生徒の様子を注意して見ていると、板書をノートに取る場面で、首を小刻みに上下させながら黒板を見ては写し見ては写しを繰り返している子どもがいます。

黒板に書かれた言葉や文章を単なる文字列あるいは形として認識し、一つひとつ写し取っているのです。

例えば、『1603年 徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任じられる ⇒ 江戸に幕府を開く』
という板書をノートに書き取るとき、「1603」 を見て写し、「年」 を見て写し、「徳川」 を見て写し、「家」 を見て写し、「康」 を見て写し・・・・・ という具合に細切れにして確実に覚えられる最低限の文字数分に区切って見て写すという「作業」 を行っています


――― 授業の内容を理解しようとする意識が全くない表れです

書き写すことだけに注意が向けられていますので、書いている時は何が書いてあるのか全く意識がなく、自分で書いたものも理解しようとすることもありません。

学校では、ノートに板書をしっかり書かせるときは、先生は話をやめて書く時間をある程度与えて指示をしますが、「間違えないように正確に写しとけ!」 という一言が返って逆効果になってしまいかねません。


――― 授業参観でなくとも書いたノートを見ればわかります

前述の例の場合、ノートに書き写したつもりでも、誤字脱字が多い場合は、“見て写し” をやっていると判断して間違いありません。

「徳川家康」 が「徳川家」 となっていたり、「征夷大将軍」 が「征夷大軍」 となっていたりしていても、ひとまとまりの言葉として把握して書き取っていないので自分で読み返すこともなく、全く間違いに気がつきません。


★★★★★  空白だらけ ノート  ★★★★★

――― 比較的できる子にも多く、挫折の原因になる

特に、算数や数学などで途中式を書かずに頭の中で計算して答えを出してしまう子どもに多い傾向が見られます。
計算が正確で速く、答えが合っていれば計算能力が高いことになるので、それはそれでいいのですが、書かないクセがどんな場合でも起こってしまうことがとても危険です。

これは、計算が複雑になったり、難しい文章問題だったりした場合に起こります。
途中式を書かなければ到底整理できないような計算問題だったり、図表を書いて順序立てて整理しないとできないような文章問題だったりしたとき、手が止まってしまい行き詰ってしまいます。


――― 書かない ⇒ 思考が展開しない ⇒ 伸び悩む

つまり、「答えさえ合っていれば良い」、という認識は学力を停滞あるいは後退させる最悪の思考習慣なのです。
解答を導くまでのプロセスを軽視すると、しまいには考えること自体ができなくなってしまいます。

全ての教科における学習を結果主義に傾かせることにもなり、極めて危険な習慣です。


――― 物事の価値観にも影響します

この結果主義を、勉強だけでなく様々なことに当てはめてしまい、「結果が良ければ全て良し」 という考え方を、小学生あるいは中学生のうちから植え付けてしまうことにもなりかねません。

何事もプロセスが大事であると思います。


★★★★★  人に見せるための ノート  ★★★★★

――― 誰のためのノートなのか

学校の宿題で、ノートを提出させる場面が少なくありません。
担任の先生や教科によってその内容は千差万別ですが、書かれている内容はもちろんのこと、きれいに整理して書かれているかどうかもチェックポイントとなってしまいますので、お母さんも、「ほら、もっと丁寧に書かなきゃ!」「きちんと揃えてもっと見やすく」などと、まずは見た目の評価を気にしてしまいます。


――― もはや、自分のためではなくなる

提出用のノートは、第一関門としてお母さんの検閲をくぐらなければなりません。(少々オーバーな表現ですが)
既にそこで、お母さんに見せるためのノートになってしまっています。

そして、学校に提出して「よくできました!」 のスタンプをもらって、 “ていねいな字できれいにまとめましたね!” とコメントが記されて返ってきます。
つまり、こうなるといかにOKをもらうか、に注力してしまうのです。


――― 大いなる勘違い

そもそも、ノートは「勉強した証」なので、色々なことが所狭しと書かれているはずです。
でも、指示されたこと以外は決して書いてはいけないと思い込んでいます。
そして、そのノートは自分のための「後で役立てる」ものではなく、見てもらうためのその場限りのものだと考えているのです。

提出のためのノートのほとんどが、後で見るためのノートという意識で書いていないため、もう二度と見ることのないノートに成り下がってしまいます。
かけた時間と労力が報われません。


★★★★★  メモ用紙 ノート  ★★★★★

――― 授業中、何やってたの?

落書き、絵、式、文章、筆算・・・ 様々なものが無秩序にあふれているノートです。
説明するに及ばず、気まぐれなぐちゃぐちゃノートです。

根本的な学習態度から改めることが必要であることは言うまでもありません。


――― 筆算専用ノート?

問題集やプリント問題をやるときに見られる「演習ノート」に見られる傾向です。
算数のノートであるにもかかわらす、式はほとんど書かれておらず、筆算がいたる所に書かれています。

いたる所、というのは例えばノートのページの左上から順番にスペースを使っていくのではなく、それこそど真ん中から使って、空いているスペースを埋めていくような使い方です。

完璧にメモ用紙として使っています。


――― 見直しが一切できない

算数の問題を解くときには、通常、ノートに問題番号を書き、式を書いて、筆算を書いて、答えを書きます。
そして、必要に応じて線分図を書いたり、表を書いたり、問題の条件を箇条書きにして整理したりします。

次に、答え合わせをして間違っていたら、式を点検し、それが合っていたら自分の書いた筆算を見直します。
これがごく一般的な学習の流れです。

ノートをメモ用紙として使っていると、これが全くできなくなってしまいます。
バラバラに書かれた筆算は、どの問題のものなのか全くわかりません。
ですから、もう一度書き直すことになります。


――― さらに、悪いことが起きます

ここで、二次的な悪影響は、見直したり解き直したりすることがとても面倒になってしまうということです。

考え方が間違えたのか、式を間違えたのか、単なる筆算での計算ミスなのか、すぐに検証できるようなノートの書き方をしていれば、やり直す気が起きますが、どこに式や筆算を書いたか見当たらないと、モチベーションは一気に下がり、やる気は削がれてしまいます。

●●● 最後に

゜:*。.:◆*:・'゜

――― ほかにもユニークなノートが色々あります

以上が代表的な “悪いノート” です。
このほかにも、 「びっしり隙間なしノート」  「大事な内容欄外書きノート」  「式を書いては消しノート」  「答えのみ一覧表ノート」  「1冊でなんでもノート」・・・ など、 “これが私の性格です” と言っているような様々なおもしろい(?)ノートがあります。

また、いろいろな無意味な “こだわり” も随所に見られます。

どれをとっても、誉められる点は残念ながら見当たりません。


――― 伸びる子は、ノートにオリジナルの工夫がある

冒頭でも触れたように、この悪いノートを検証すると、そこに潜んでいる様々な学習の悪癖が見えてきます。

自立した学習ができる子どもは、ノート作りに工夫があり、作った後のオリジナルの活用方法を心得ています。ですから、どんどん学力が伸びてきます。
しかし、自立した学習ができない子は、ノートの重要性はわからずおざなりになってしまい、必然的に学力は伸び悩みます。


――― 悪いクセとして定着する前に、しっかり手を打つ必要がある

一番危険なことは、まずはどんなノートの書き方をしても、勉強に向かっていることは確かなので、全く負い目を感じていないということです。

さらに、ノートに書く、という行為はオリジナル性が高く、字にクセがあるのと同様に一つのクセとして確立されてしまうということです。

そもそも“悪い書き方をしている” という自覚がほとんどないことも大きく影響して、改善することがなかなか難しくなってしまいます。


――― “良いノート” の作り方とは

『 “ノート改善”で学力アップ シリーズ 』 第2弾 以降で、“良いノート” の作り方について探っていきます。

まずは、“伸びるノート”の作り方<心得編> を是非ご覧ください。


 

 

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